レオナルド・ダヴィンチについてあまり知られていないこと

レオナルド・ダヴィンチは学者であり、芸術家であり、発明家であった。彼の人生は学ぶこと、そして創造することに捧げられ、彼が残した数多くの作品は、歴史の中で最も多様で人を引き付ける力があるもののうちの1つだ。
そんな偉大なレオナルド・ダヴィンチ。学校や歴史の教科書では教えてくれない様々な側面を持っていたようだ。ここではそのうちのいくつかを見ていきたいと思う。
集中力が低く、すぐいろいろなことで気が散っていた
ダヴィンチの悪評の1つに、仕事がかなり遅い、というのがあり、実際にいくつもの作品を未完成のまま残している。また、絵画だけでなく、発明品も未完成のものが多く、残されたものを見ても何を創ろうと思っていたのか、想像もできないほどだ。
私生児だった
ダヴィンチの両親は結婚しておらず、彼が5歳までは母親と暮らしていた。そのあとは父親と暮らしたのだが、後に彼は、母親との関係が緊迫したものだった、ということを言っている。
16歳の母親がいた
ダヴィンチの父親の結婚相手は、なんと16歳!
空がなぜ青いのか、それを科学的に説明したのはダヴィンチだった。
モナリザは妊娠中、もしくは出産後だった?
多くの作品を残した彼だが、「レオナルド・ダヴィンチ」といえば、「モナリザ」を思い浮かべる人も多いだろう。
2006年、カナダの国立研究機構は、赤外線三次元分析を行ったところ、モナリザは肩の周りにヴェールをかけていて、それはイタリアのルネッサンス期において妊娠中の女性が身に付けていたものだ、ということがわかった。また、モナリザは髪をおろしているように見えるが、実際はそうではなく、後ろでシニオンに結んでいて、髪はヴェールに隠れている、ということもわかった。
超ベジタリアンだった
ダヴィンチは動物を愛していて、かなり頑強なべジタリアンだった。
一度も学校へ行ったことがない
自宅学習で読み書きと数学を学んだが、実際に学校へ行き、正式な教育を受けたことはない。
10代の頃にはフィレンツエの有名画家、アンドレア・デル・ヴェロッキオのもとに弟子入りしたが、ヴェロッキオはダヴィンチの腕前を見て、それがあまりにもすごかったため、自分はもう2度と絵を描かないと誓った。
同性愛者だった(あくまでウワサ)
24歳の時、ダヴィンチとその仲間たちは、男色の罪で逮捕された。後に、起訴は取り下げられたが、ダヴィンチはこの出来事に非常にショックを受けた。
両手ききだった
このことにより、ダヴィンチは両手を使って絵画を描くことができた。また、彼は、難読症といわれる学習障害の1種であったと言われている。
兵器も作っていた?
ダヴィンチは一時期、ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの元で働くために、フィレンツエを離れた。彼は、大きなブロンズの軍馬、煙霧機、装甲車両、組立橋梁などを考案した。
才能ある地図製作者でもあった
ダヴィンチはイタリアのイモラ市の精巧な地図を完成させた。当時の地図としては、技術と正確さにおいて完璧であり、それが建築家のチェーザレ・ボルジア公の目に止まり、戦闘工兵のチーフとして彼に雇われた。
ダイビンググッズの考案もしていた
ダヴィンチは、水の中で浮くための靴や原始的なスキューバの機械、ライフジャケットなどダイビンググッズを色々と考案していた。
解剖もしていた!?
ダビンチの仕事の1つに、フィレンツェの病院で人間の死体を解剖するものがあった。彼はこの経験により、人間の体の仕組みを勉強し、その詳細を200ページにも渡って描いた。
宇宙について考えるのが好きだった
ダヴィンチは、月は地球に照らされて見えているため、暗い夜でも光って見えるのだ、ということを発見した。